Yukihiko Blog Written by Yukihiko

筆者がハゲていくまでのストーリー3 〜日本帰国も薄毛に悩む会社員の苦悩〜

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筆者である私は今ボーズです。これは髪が薄毛になってしまったからです。小さい頃からそのように今の髪型に至ったのかその歴史を書いていこうと思います。

前回はこちら。

アメリカから帰国したあとでも薄毛に悩む様子をお楽しみください。

ハゲに寛容なアメリカ

アメリカと日本の違いについてはいろいろな見解があるが、薄毛(ハゲ)についての許容度はアメリカは非常に高い。ハゲでも普通に生活しているし、ハゲの人も多い。それを気にしている人もいないし、それに対して何か文句をいう人もいない。

個人主義のため、人がどのような髪型をしようが気にしない、というか自由なのだ。

それが日本人には非常に心地よい。

日本にいると人の期待や人からどう思われるかを気にして生きていく必要があるが、自分の好きなように生きていける気がするのだ。自分が自分でいられる気がする。

これがアメリカという国の住みやすさであり、日本という国で住む事の生きづらさと呼ばれるものだと考える。

日本に帰国

日本に帰国しても、アメリカの友との別れは難しく、持ち帰った2セット(1年分)のカークランドの育毛剤を使用して過ごしていた。

日本のコストコではこれは販売していない。ネットで購入はできるが、アメリカで買うよりも高価である。そんな状況を考えて、これを一生使ってなんの意味があるのか、そう考えていた。

「アメリカでこの育毛剤に効果がない事はわかったじゃないか」一人の自分が言う。

「いやここで辞めたらまたハゲてくるかもしれないぞ」もう一人の自分が応える。

ハゲの恐怖とは強いものだ。

頭で効果がないと理解していても、辞めるのはとても難しい。

そんな時にいつも助けてくれるのは妻だ。

「まだそれ使ってるの?効果あるの?」

ストレートに聞いてくる。効果はあるのか?いや無い。そんなの自分が一番よくわかっている。

じゃあなんで使っているんだ。説明はできない。自分の弱さと戦った。

数日間の検討の末、育毛剤の卒業「育卒」する事にした。

育卒数日後は不安でいっぱいだった。しかし、特に何も変化は起こらなかった。変わらずに髪の毛は薄い。昔より薄くなっている。特におでこからつむじまでの真ん中のラインが私の頭で一番薄い。そこをまだある髪の毛で隠しているような状態だ。

でも、まだ隠す髪の毛があるから隠していればいいじゃないか。

という事でしばらく、薄毛をごまかした髪型で生活する事にした。

育毛剤はもう辞めた。

残酷で優しい家族

家族は残酷だ。ハゲに対してストレートで攻めてくる。

こども「パパの頭、髪の毛の薄いラインができているよ」
こども「ほんとだ、まっすぐに芝刈りしたみたいになっている~」
妻「これは、モーゼの十戒に出てくるね。海が二つに別れるシーン」
妻「これはもうあんたモーゼだよ、アッハッハ」
本当にひどい人達だ。

でもそんなにハッキリ言ってもらえるからむしろ助かるのかもしれない。

ハゲにとって一番つらい事は何かというと、影でコソコソ薄毛をバカにされる事じゃないか。私はそう思う。

いじってバカにしてもらえる家族がいて良かった。